哲学カフェ・対話の話

哲学カフェ、哲学対話の参加や主催をする中で、考えたことを記しています。深い話はありません。哲学カフェ参加の感想は、対話中に出た話と、後で考えたことが混ざっています。

今日の哲学カフェ(コミュニケーションでの)距離感

テーマから考える会。雑談のような話から取り上げられ決まる。自分には初めて出会うテーマだ。

 

何故、私たちは他人との関係を距離で表すのだろうか?単なる比喩に過ぎないと言えばそれまでだが、誰もが共有できる比喩になるには、文字通り「体感」させる理由が何かあるとも言える。

おおかたの参加者が、他人との距離の伸縮の説明に終始する中で、体感の仕方自体が違う人がいた。距離ではなく(重)力だと。引く力の釣り合いみたいなものを、距離感と呼んでいないかと?

なるほど我々は他者との間に、力の均衡や不均衡を感じ取りながら生きている。もちろんそれも比喩である。両者の力が存在するなら距離もそこにあって当然である。目に見えない意識現象に対して、人が目に見える事象を割り当てるのは、言葉での説明というどこまでも不完全な行為を、なるだけ良きものにしたいという願いによるものだろう。

重力説を出した人にとっては、物理的な力そのものは目に見えない分、目に見える距離よりも、比喩として適正に感じられたのかもしれない。しかし、人が力の存在を確信するのは、視覚と同じく身体の知覚によるものである。であれば、いずれにせよ心理的な感覚への比喩というのは、身体の知覚に置き換えられたものということになる。

そんなことは調べれば本にも載っている当たり前の話ではあるが、そこにいる人がどんなときにどう感じるかを書いた本は当然無い。

たまたま、参加者の中には高校生がいた。自らに起きた悲しみを(おそらく)正直に明瞭に話していた。それが考えるための素材になることも了解している。哲学カフェ哲学対話では、それが重要なのだ。