ある日の哲学カフェ「友達は必要か?」
少し気持ちのざわつくようなテーマがいい。よく言う哲学カフェのモヤモヤというのは、普通は問いに対する意見に対しておぼえるものだが、この場合タイトルの問いの段階で始まっている。
主催者がテーマを決める時に、仮に友達に関してならば、単にタイトルを「友達」としたり「友達とは何か?」で開くこともあれば、今回のようなものみたいにすることもある。
「友達」や「友達とは何か」に比べて、「友達は必要か」となると、最初から問いが限定されてはいるが、二つの言葉が並んでいるため、「友達とは何か?」と「必要とは何か?」を、個別に考えなければいけないのではないか?二つ分の時間がかかるのではないか?という危惧が出そうでもある。
ところが実際やると、たいていがそうはならない。
友達って何だろう?と考える時も、人が人を必要とする時はどんな時か、頭に常に置いているおかげで、かえって「必要とは何か」についても、明瞭になってきやすい。小さな範囲から多様に考えることは、ある種のコツとして有効なのだ。(逆に広い範囲からありきたりな意見が集まってもあまり良いことがないので、それを防げる利点もある。)
今回、進行の仕方も人数に合わせておられてたのと、老若男女(小学生もいた)そろっていたため、かなりおもしろい対話になったが、内容とその感想は改めてにしたい。