哲学カフェ・対話の話

哲学カフェ、哲学対話の参加や主催をする中で、考えたことを記しています。深い話はありません。哲学カフェ参加の感想は、対話中に出た話と、後で考えたことが混ざっています。

あるある 困った人

どこにでも困った人というのが一定数いる。哲学カフェにもいる。いや、ここほどわかりやすい場所もないかもしれない。

どこにでもとは言ったものの、あまりそんな人のいない集まりもある。主催者の傾向や告知の仕方、場所や日時を含む開催方法によって違いが出そうだ。おのれを棚に上げて正直に言うと、困った人は高齢男性が多い。

それらの代表は「マウントをとる人」と「話す時間が長いだけで、内容から得るところがない人」である。

一般的にはマウントを取る人が問題視されるが、自分的にはそれより後者が遥かに困る。マウントを取ろうとする人には、進行役にも参加者にも、それなりの対応策がとれるし、またそこまで自説で人に覆いかぶさろうとする態度自体からは、何かしら掘り出せるものがあるからだ。

内容が無いとそれもできない。そんな人はたいてい経験ではなく知識で話す。それも、今さら誰もが知っている話を延々とする。「知識ではなく経験で話そう」と言われてもやり続ける。

マウントを取る人は必ずしも、知識中心型だけではない。武勇伝的なエライ経験を語る人もいる。その場合不快でも、それだけ差し引いて聞いて、遠慮忖度しなければ、ツッコミでも質問でもできる。内容がなければ質問もできない。

マウントを取る人は問いではなく、答えを一方的な方向に持っていこうする人である。それに対しては主催者、進行役が対処する準備をしていたほうが良い。